旧石器時代から人類はインド亜大陸に生存していたと考えられている。起源に関しては紀元前3世紀頃から明らかになり始めたものの、彼らがどこから来たのかは依然として解明されておらず、インド民族起源の大部分の歴史は謎に包まれたままである。
まず初めに、”India”という言葉の起源について(詳細についての意見は様々だが)、多くの歴史学者の意見が一致する学説を紹介することにしよう。「元来、インドのシンドゥ川(River
Sindhu)(現在、パキスタン国内を流れる)の両岸周辺は人口密度が高かった。”S”の音節を”H”と発音する中東からの移住者が、”Sindhu”を”Hindu”と呼んだ為、その地域に住む人々は”Hindi”と呼ばれた。(今日でも、アラブ人はインド人を”Hindi”と呼ぶ。)その後、ヨーロッパからの侵略者が”HE”を”E”と発音した為、”Hindu”は”Indi”となりその後”India”と呼ばれるようになった。」というわけで、今日使用されているHindu、Hindi、Hinduism、Indiaというような言葉が生まれたのである。これが言葉の起源である。
上記したように、最初に人類がこの土地にどのように出現したのかは依然として不明だが、次に過去5000年まで歴史を遡って見てみることにしよう。上記の通り、シンドゥ川はインドで唯一人口密度の高い主要な地域であった。(現在その文明はインダス文明として知られており、考古学的な調査から洗練された文明として名高い。)インダス文明の人々は浅黒い肌をしたドラビダ族(Dravidian)であり、そのインダス文明社会の豊かさに目を向けたのが、人種ではアーリア人(Aryan)に当たる色白のペルシャ人(Persian)であった。アーリア人はインダス盆地を侵略攻撃し、ドラビダ族を打ち負かし圧勝した。インダス文明は滅ぼされ、インド西部やパキスタン東部では今日に至ってもその残骸が見られるという。その後敗北したドラビダ族は、インダス平野に家を残し南方へと移住し、一方アーリア人はインダス平野、すなわち北部に定住した。今日でも、浅黒い肌を持つドラビダ族が、白い肌を持つアーリア人が住む北インドよりも南インドに多く見られることが、明らかな歴史の事実として説明が付くだろう。
しかし今日、多くのインド人は浅黒くも白くもなく、小麦色の肌をしている。これはいったいどういうことなのか。それは、アーリア人とドラビダ族間の戦争(the
Aryan-Dravidian war)以降、数世紀に渡り両者間の過去の不和・敵意は次第に薄れ、互いにふれあい始めたことによる。アーリア人の中には南方へ移住するものが増え、ドラビダ族は北方へと戻り始めた。その結果、人種間結婚数も増加し、両者は混じり合っていった。このようなカップルの子孫は純血なアーリア人でもドラビダ族でもない混成であり、肌の色は白くも浅黒くもない、両色を合せた小麦色をしていた。それゆえ、今日インド人には小麦色の肌をしている人が多く存在するのである。
大雑把ではありますが、ここではインド人の起源を紹介しました。
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